⑧またOL。でも またしても辞める

懲りもせず別の会社へ

建材会社の正社員として雇っていただきました。

請求書の合計や 手書きの請求書を書いたり、

パソコンがまだ導入されていない、個人会社でした。

会長と社長と次期社長である息子さんと

定年退職後の経理顧問の方と

お局様がおられました。

可愛がっていただきましたが、

わたしが努めた2年のうちに

新入社員が11人もお辞めになられました。

わたしが 社員の頭数をそろえるために

雇われたということも わかってきました。

帳簿に架空の社員名もありました。

 

そのうちに わたしが音楽を教えたり

合唱団で活動していることも 禁止されました。

どうしてなのでしょう・・・?

 

工事現場のプレハブで 肉体労働をされている方と一緒に

お仕事もしました。

簡易トイレのお掃除は、生まれて初めての経験でした。

現場の環境は本当に過酷なものです。

でもみんな一生懸命に働いておられました。

 

ある日 母の合唱団が 北欧4カ国の合唱の旅をするというので、

連れて行ってあげたいと思い、

またしても辞めてしまいました。

 

この会社を辞めたことは

LD のせいではありません。

 

でも計算に 普通の人の 倍以上の時間が

かかったことは確かではあります。

 

ケーキ屋さんの確定申告で 計算間違いをして

多額の税金を払わなくては いけなくなったこともありました。

 

会社努めは とても大変なこと

わたしには やっぱり向いてないことが

ようやくわかった時期でもありました。

 

人生何事も経験、無駄なことは一つもない・・・といいます。

もし LD だとわかっていたら、きっと

このお仕事を 選んでいませんでした。

 

わたしは 生ぬるい人生を送ってきた、

世間知らずで はったりばかりの

生意気な甘えたガキでした。

 

 

会社で出会った方々は、御苦労をされておられました。

生きるために 誰かのために

我慢して我慢して 一生懸命に働いていらっしゃる方々・・

そのような方のなかで 時間を過ごしたことは

わたしの凝り固まった物の価値観を変える

貴重な体験だったと思います。

そして 自分がどんな仕事に向いているのかを考えるようになり、

「現場で働くこと」「物を作りだす仕事」を

選ぶようになった原点でもあります。