⑨お惣菜店で働いて フランスへ行く

北欧4カ国の合唱の旅

本当に美しい国でした。

一生忘れられない旅の一つです。

その後 お知り合いの紹介で

和食のお惣菜店でアルバイトをします。

相変わらずケーキ屋のアルバイトと

音楽もお教えしていました。

 

食べ物を作ることは とても楽しかったです。

計算が出来ないので レジはやっぱり 担当しませんでした。

 

フランスの旅

そして 母とフランスをめぐる旅へ出ます。

旅行は 母への感謝の気持ちです。

いまはベットに寝たきりの母ですが

元気なうちに連れていくことが出来て

本当に良かったと思います。

 

 

フランス歌曲を習いに行く 26歳

次に フランスのニースパリ音楽院 夏季講習で

フランス歌曲の勉強をしに行きました。

古い時代の古い建物の音楽院は 自然に囲まれていました。

大理石で出来た床、天井は高く、大きな窓がたくさんある部屋には

グランドピアノが2台入っても

全然余裕がありました。

そんな部屋が一体いくつあるのでしょう・・・

先生も生徒も真剣です。

時には厳しい言葉をかける先生もおられますが、

本当にその生徒のことを想って おっしゃっておられるのが 

言葉はわからないですが 愛を感じました。

 

才能のある人は いくらでもいる。

プロの方もたくさん いらっしゃいました。

でも 好きで 楽しくて 勉強している人もいました。

 

わたしのへたくそな歌を聞いて

周りはびっくりされていたと思いますが、

フランスが好き フランス歌曲が好き、

そうでなかったら 飛行機を乗り継いで 

はるばる 来ないでしょう・・・

その情熱は伝わっていたかもしれません。

 

 

ニースの明るい日差し・・・

キラキラきらめく青い海・・・

海岸通りの夕方の爽やかな風・・・

朝から さえずる鳥たちの声・・・

山の上に建つ 小さな教会や博物館・・・

観光地されていない 香水の工場・・・

自然に溶け込む 美術館や ルノワールの別荘・・・

明るい夜9時からにぎわう、緑に囲まれた屋外音楽祭・・・

日本人は一人もいません。

 

優しい人が多いのですが、嫌なこともたくさんあります。

パリで お前はバカか?とわざわざ絵で描かれたこともありました。

その時は 悲しくて泣いてしまいましたが

今は おかしな思い出です。

思いきり人種差別もあります。

それでも 本気でフランスに住むことを考えましたが、

お金もない 仕事も出来ない、フランス語も話せない・・・

あきらめてしましました。

 

だけど こんな素晴らしい経験ができて

本当に良かったと思います。

 

もし LDだとわかっていたら・・・

無謀にも フランスへ勉強へ行っていたでしょうか。 

 

せめて語学の勉強の仕方は違っていて

もう少し違っていたかもしれません。

 

ずっと自分が嫌いでした。どうしても 受け入れられない。

もんもんと やみくもに必死で もがき続けていたように思うんです。

 

LDだったとわかって

よくぞがんばった!と

自分を褒めてあげたいと思うと同時に・・・

 

正直 なんだか 空洞・・・なのです。

 

軽いというより ぽっかりと穴が空いて・・・

こころのなかの 膿が出た後の感じ・・・

グラスのなかの 古い酸化したワインがなくなった・・・

さあ、今から本当の自分を生きるんだ・・みたいな・・・

一人きりになったというか・・・

いらないものが 削り落されたというか

完全燃焼!みたいな・・・!

 

燃料を蓄えたい、

生きる原動力が欲しい・・・

48歳 心は生まれたて、

大自然のなかに しばらく身をうずめ、

むくっと起き上がりたい気持ちです。

 

今から生きる子供たちには

やっぱり LDだということは 早く気づくほうがいいと思うんです。

LDにあったお勉強をして

なにが得意 不得意とか わかって、

自分で自分を認めることが出来ると思うんです。

誰と比較することなく 自信を持つことが出来ると思います。

 

直観力を使う

わたしは 多分 心赴くままに

直感で選んで生きてきたと思います。

 

LDだとわかっていても そうでなくても

直感ですすむ道を選び

その時に 判断することで

自分らしさは失われないような気がします。

 

どんな人生になるかなんて 

やってみないとわからないこと・・・

これからも怖がらずに 進みたいと思います。