⑩阪神大震災を経て

LDのお話と、かなりずれますが、ちょっと記しておきたくて・・・

よろしければ 読んでいただけると嬉しいです・・・

 

27歳の頃は

お惣菜のお仕事

ケーキ屋さんのアルバイト

音楽を子供たちに教える

というお仕事を掛け持ちしていたころです。

 

突然の大震災。

たくさんのお知り合いが亡くなりました。

 

幸い家族はみんな元気です。

一人暮らしのマンションや実家も 家の中はぐちゃぐちゃ。

ガス水道電気 すべて通りません。

 

父の店は全壊し、そのあと家を出てどこかへ行ってしまい、

半年くらいでしょうか、しばらく帰ってきませんでした。

 

わたしと母は近くの中学校へ避難・・・

その時に どなたかが配ってくださったおにぎりが とても嬉しかった。

 

電気が一番最初に通って

飲み水は歩いて30分ほど行ったところに 水道局があって

汲みにいっていました。

 

 

ケーキ屋さんでは 喫茶もしていたので

ガスボンベコンロを使ってコーヒーをつくり、

お志をいただいて 提供しました。

三宮方面の阪急の線路がつぶれたので

阪急御影で降りて JR住吉まで歩き、

乗り換えて三宮まで行くたくさんの方が

ちょうど店の前の道を通るのです。

 

壊れたショーケースやミキサーをわたしは直しました。

けっこう そんな電気配線など得意なのです。

たくさんのケーキ皿などは もちろん割れましたが、

店自体がつぶれずにいてくれて 本当に助かりました。

 

お店のパティシエは 住んでいた平屋の下敷きになり 

命を失いかけましたが なんとか這い出してきました。

車のキーを取りに またがれきの中に入り、

普段なら5分で来れる距離を30分以上もかけて

助けにきてくれました。

 

一度なくしかけた命を 大切に生きよう・・・

そう言っていました。

 

保存のできたケーキは知り合いのいる市場で

屋台で販売しました。

 

市場の人たちは 一生懸命に店を立てなおしていました。

それぞれ いろんな状況がおありだったに 違いません。

みんな 本当に 一生懸命でした・・・

 

お惣菜のお店も なんとか修復出来た頃、

40分自転車を漕いで お仕事に行っていました。

 

音楽を教えるお仕事は 落ち着くまでお休みです。

 

それともう一つ日課が増えました。

お知り合いがお一人で

ご自宅で学生寮をしておられましたが、

震災のショックで 病気が悪化し入院されました。

代わりに 学生7人分の食事を作りに行っていました。

中・高校生のみなさん、

今頃 立派な成人になっておられることでしょう。

 

最初 その7人の子供たちのことが とても怖いと感じました。

フラッシュバックです。

でも 当たり前のことなんですが、

寮の子たちは だれも わたしをいじめたりしなかった・・・

この寮母さんの経験で

気持ちがちょっと変わっていきました。

 

お勉強ができなくて卑屈になっているわたしが、

お医者さんになることをめざして

遠くから親の元から離れて勉強する子供たちに

食事を作り、それを食べてくれている・・・

 

優しい気持ちでいられたし、不思議な感覚でした。